2005年04月25日
パーフリをやめたわけ
ブログについて考える。
植松君のエントリーを読んで胸が躍った。
なぜか。そこにはリアルな友人の日常が綴られていたから。
ネットで日記なんて、なんだかおかしなことじゃないかしら、
と考え込んでいた今日この頃。
ましてや個人的な思い出話なんて…。
と自分を恥ずかしく思ったりして。
でもね、面白いよね、友人のことを知るのは。
最高だね。ご機嫌だね。
この気持ちを邦画のタイトルであらわすと
「ウッホッホ探検隊」ってかんじだね。
(こういうの流行らないかな)
しかしまあ、なんですなあ(桂小枝風によめ)、昨今のこのブログ文化。
誰でもエッセイスト。誰でもジャーナリスト。誰でも評論家。
素敵なことだと思います。ブログ、愛してます。
俺も頑張る。
そういうわけで、このわたくし不肖ユージンも、
アメリカからみた日本のニュースを大橋巨泉ばりに意見したい。
意見して感心されたい。感心されてモテたい。
というわけで日本の政治についてガツンと論じたい!
ところがね、やっぱね、まずいんですよ、お客さん、
政治と宗教とプロ野球の話はこの業界じゃタブーなんでさあ。
だって、いろんな人がいるでしょ、それぞれ支持するものが違うわけでしょ、
こっちも客商売ですからね、下手なこと言って怒らせちゃまずいでしょ、
だからね、もうハナからその話題は避けるべきなんです。
通行止め、赤信号、じゃなくてね、もう車両進入禁止地帯ってわけでさあ。
あれ、お客さん、この道まっすぐでいいんだっけ?
(我ながらアホだねー)
やはり、芸能ネタで行きましょう。
わかりやすいもんね。
それに俺、馬鹿がばれるの嫌だもん。
ではまず、ちょっと遅いのだけど「高田渡死去」というビッグニュース。
これが一部の友人たちに大きなショックを与えた。皆さんのまわりはどうでしょう。
古い友人のTはメソメソと何日も泣き暮らしたときくし、
かつて音楽業界のすみっちょで働いていた同居人は「なぜ?なぜ?なぜだー」とここNYで地団駄を踏む始末。
彼ら二人にみる共通点はボガンボスどんとのときも同じような行動にでたという過去であり、二人とも、どんと、高田渡と同じ岐阜県出身。こりゃなにかあるね。
ついでにいうと俺も同じ県出身なのだが、本当はグラスゴー出身と思い込んでいるから、そこまでショックではないのもうなづけるという話。
まあ、昨年中の亡くなったジャック・デリダとか?スーザン・ソンタグとか?なんかは感慨深いものがありましたよ(インテリでごめん!)。
でも一番ショックだったのはあれだな、藤子・ファッキン・ファンキー・ファンタジスタ・不二雄先生がお亡くなりなったときのことだね。
朝刊もってその場でぶっ倒れそうになったもんな。俺、高三だったよ。もう立派に大人のくせに。
というわけで、本日は俺と藤子先生の感動秘話を…。
と思ったが、今回は時事ネタを語りたいので、次の話題にすすみます。
これまた、もうずいぶん遅いくらいつきであるとは思うが、
「渡辺満里奈結婚」をあげなげればいけない。
渡辺満里奈といえば、アレである。
アレというのはつまり、あのバンドの解散理由がこの人の取り合い、
という90年代半ばまでまことしやかに噂されたあの問題である。
ここでピーンときてしまったヤツはずばりこれ、渋谷系世代。
悪い大人たちに踊らされ、陰気なフランス映画とNHKのサブカル番組と限定アナログ盤に振り回された悲しい世代だ。
悲しいね。本当に悲しい世代だね。いったいその後みんなどうしてるのだろうね。
きっと田舎の両親だまくらかして東京に出て文系私立とか美術系の学校とか行っちゃってさ、学校もいかずフレームの太い眼鏡かけて代官山界隈をほっつき歩き、たまにある仲間内のDJイベントでは大ハッスル。それで就職はもちろんマスコミを受けるんだけど、世の中そうそううまくはいかないもので、じゃーまー、フリーターでもやりながらいっちょクリエイターにでもなってみますかね、と思ったが、そんなツテもスキルも才能もありゃしない。こりゃやっべえってことで急いで就職。カタカナ名のベンチャー企業。そしたら、そこがブラック企業。体育会系が幅をきかす世界。朝から訓示を大声で朗読。ノルマが果たせず家族や友人に泣き落とし。JPOP好きの同僚とは話があわねえ。デザイナーズスーツでびしっときめたら上司に蹴られる。会社のカラオケで誰も知らない曲を選んで場をしらけさす。そんな鬱憤をはらすため、趣味のレコード収集に力をいれる日々。よーしこのままDJにでもなっちゃいましょうかねと意気込んではみたけど、自分の安月給じゃ思うように機材やレコードが買えやしない。こいつはまいったと頭を抱えていたところ、通りかかった消費者金融。おや、あのかわいいお地蔵さんならCMでみたことがあるぞ。どれどれ、ひとつお参りでもしようかね。そこに並んだいくつものボタン。押さずにはいられないのがデジタル世代の悲しい性。ピッピッピピピピ。。。わお、魔法のように金が湧いてきたぞ。こりゃすごい。しかし、いったいこのお金はどこからやったきたのか。しばし熟考。ポンと手を打ち、こう叫ぶ。わかったぞ、未来の大成した俺っちからの仕送りにちがいあるめえ。なんたるありがたいことか。いよいよやる気がわいてきたね。お地蔵さん、出世払いでよござんすかね。なあに、倍にして返しますよ。
そして、気がつきゃ借金まみれ。いつのまにやら会社は干され。ある日誰かがドアノック。窓の外には黒ベンツ。強面兄さんやって来た。襟首つかまれ拉致られた。ついた先はどこかの漁港。船に乗せられいざ出航。天気は快晴、航路は順調。マグロ漁船でレッツゴー!
かくして彼の大航海(後悔)時代のはじまりはじまりなのでした。
(あわわわわ。笑えねー)
もちろん、俺はちがうよ。全然渋谷系なんかじゃなかった。
マジで。ごくふつーのハイティーン。いや、ほんと。
金曜の夜はカヒミカリイのミュージックパイロットなんか聴いてないし、
土曜の夜はテレビに映る緒川たまき眺めてドキドキなんかしてないし、
深夜の衛星第二でゴダールの映画なんて標準録画してないし、
小沢健二の一夜限りのオールナイトニッポンなんてメタルテープにダビングしてないし、ロッキンオンジャパン2万字インタビューで案外普通なビッケに失望なんかしてないし、ラップはやっぱLBでしょ、とか言ってないし、ラヴタンとか略してないし、ネオアコとか意味わかんないし、ボーダーシャツなんか着てないし、ボタンダウンシャツなんて集めてないし、モミアゲ伸ばしてないし、学生服のポケットにジャン・コクトー著・堀口大學訳「恐るべき子供たち」なんてしのばせてないし、コーネリアスのカセットテープ全色コンプリートなんて全然興味ないし、「こないだの米国音楽で加地君が紹介してたトートバッグ、超かわいいね」なんて会話はしてないし、
もう!ちがうってば!
さて、渡辺満里奈である。
あのバンドのことである。
あの突然の解散理由のことである。
でもね、あの噂は全部デタラメ。根も葉もない嘘です。
俺がいうんだから間違いない。
うん。そろそろ俺は真実を話さなければいけないな。
当時、あのバンドに在籍していた者のひとりとして。
俺がこの場で真相を語ることで、他のメンバーがどう思うかは、
今や親交の絶えた間柄であるから知る由もない。
ただ、当時から嘘や隠し事が大嫌いだった俺の性格を汲み取れば、
いつか公に明かされることなど覚悟の上であったと思う。
さあ、いまこそ話そう。1991年の10月のことを。
つまり、これから話すのは俺がフリッパーズギターだったころのことであり、
俺がフリッパーズギターだった最後の日のこと。
以下、回想。(もうお決まりだね)
まだ中学一年生だった俺は恋に部活に勉強に、そしてフリッパーズギターに大忙しの毎日。小山田、小沢、小池(俺のことね)の三人で組んだ俺たちフリッパーズギターは、オリーヴ少女の憧れの的として、そりゃもうきゃあきゃあ言われて大変だったんだから。
やることなすこと羨望の的。洗練された音楽。知的な歌詞。小奇麗なルックス。時折放つビッグマウスもファニーフェイスでご愛嬌ってわけ。
それから、トリプルスモールコーポレーションというソングライティングチームを気取ったりなんかもしてたっけ。(まあ本当は歌詞のほとんどを俺が書いていたことなど、賢明な読者諸氏なら、俺の文体から容易に想像がつくだろうけど。)
ただ、やはり年の差なのか、はたまた根本的な人間性の違いか、俺と他の二人の間に大きな溝があったことは否めない事実。
仲が良いとは決して言えなかったな。
その日も楽屋で年上の小山田と小沢が仲良く焼酎のホッピー割りを浴びるように飲む中、俺はふたりからはすこし離れ、部屋の隅っこでひとり、カフェオレを飲みながらサローヤンの小説を読んでいた。
そのうちに、二人がいつものように大きな声でオイチョカブ(花札)をはじめるのが聞えてくる。まったくうるさい連中だ。すこしは静かにしてもらいたいものだな。どれ、ひとつ注意でも、と思っていた矢先、二人の楽しげな声がただならぬ怒声に変わった。
小山田「おんんどりゃあ、イカサマしやがったな!」
小沢「てやんでい、こちとらそんなケチな野郎じゃないわい!」
小山田「じゃかましいわい、このガキャア!耳の穴に指突っ込んで奥歯ガタガタいわせたろかい!」
小沢「なんじゃい、このウスラトンカチが。イカサマはお前さんのほうとちがうんか!」
ごめん、書き出したはいいけど、ちょっとうまく思い出せない。
つづきは次回に・・・。
yujing
投稿者 hospital : 2005年04月25日 17:39
